「無難」「一般的」に何の価値もないことを思い知る

最近よく考えるけど、なかなか悪癖が抜けないこと。

仕事も副業も“体裁整えること”を意識するの良くない

大衆向けの情報なんて誰も求めてないってことを思い知る
ここのところ仕事で大きなプロジェクトがスタートして、制作会社の人と組んで企画からいろいろやってます。

あと副業でもちょっと動きがあって、なんだかんだで忙しくしております。更新減ってますが、元気です(笑)

そんな中で思ったのは「よくありそうなもの」って本当に意味がないなということ。

様式美って何それおいしいの?誰の役に立つの?ってつくづく思う。

子どもの頃から作文褒めらたけど、中身はなかった

大衆向けの情報なんて誰も求めてないってことを思い知る
小学生のころから作文は得意だったのです私。先生によく褒められてた。

国語の成績だけで受験成功したと思ってるし、中学校のときに頑張って作文書いたら、バリに行ったこともある。(明文は避けますが、県内で優秀とされた結果です)

ただ今思うと「こうすれば褒められるだろうな」と下衆いこと考えながら書いていたので、伝えたい想いは特になかったなーと思います。

だから得意だったけど、好きじゃなかった。外面良くして体面を保とうという悪癖あったなーと思います。

一方高校から20代前半までやっていた個人のホームページで毎日書いていた日記は限られた人にしか見られなかったし、なんの成果もあげてないけど、凄く楽しくてほぼ毎日更新してたし、そこでコミュニティがたくさん生まれました。

それは学生のときに書いていた作文よりよっぽど自分の中で意味があったし、誰かの心に刺さるものであったと思います。

ターゲットを意識するんだけど、それだけじゃなくて

大衆向けの情報なんて誰も求めてないってことを思い知る
企画立てたり、文章書いたりってことの前にまずターゲットを見据えるってことが当然あるんだけど、それだけでもダメだよなーと最近感じています。

「尖る」ことの必要性っていうのを改めて感じていて、でも「個」を出すことの抵抗感もあったりして、自分の中でせめぎ合っているかんじ。

こないだある方に本家ブログを読んでいただいて「顔が見える感じが絶妙」とほめていただいたんですが、その時やっぱり「顔が見える感じって重要なんだなあ」と実感。もちろん本当に顔が見えるわけじゃなくて、個性が出てるって意味です。

WontedlyのCEO仲さんの記事に頷きまくる▼
https://www.wantedly.com/blogs/8504

最近ヒアリングをしてて思うのだけど、現場はぼんやりとした要望はあるのだけど、そのためのアイディアなんか何一つ持ってないんだよね。ユーザーもそうなんだと思う。

今の会社は「現場至上主義」だけど、その現場は不満や要望はあってもビジョンはないから何も実現しないし、意外とユーザーも見えてなかったりして結構グダグダです(笑)

ユーザーが見えてないというか、まず実現可能か自分にかかる負荷のバランスがどうかっていうのが第一になってる。

別にそれが悪いっていうんじゃなくて「そういうもの」って認識しておかないといけないということなのかと。その上でどうするかっていうのがやっぱり大事だし、失敗するかもしれないけど新しい道を作るべきなんですね。

「現場至上主義」っていうのは現場の意見をなんでも聞くっていうことじゃなくて、現場で起こってるすべてのことを把握するってことと最近やっと理解した。

iPhone6が時流に沿ってサイズを大きくしたけれど、結局SEでサイズを戻してるっていうのもそういうことなのかしら、と思ったり。(今後どういう方向にいくかわかんないけど)

だから大衆を見据えた情報には誰も目を向けない

大衆向けの情報なんて誰も求めてないってことを思い知る
ブログを書いてて思うのだけれど、商品レビューひとつとっても細かくやろうと思うと、結局自分の事情を書かざるを得ないんですね。

買った理由とか、自分なりの使い方って本当に個人の意見でしかない、でもうちの記事を読みに来てくださってる方ってそれが知りたいわけじゃないですか。

そこで自分に当てはまった場合のみアクションに繋がるわけで。別に当てはまらなかったらそれはそれで読み物として消化されるだけだし。

ターゲットを広くすればするほどぼんやりとしたプロモーションになるのと同じように、自分の個を消せば消すほど同じくぼんやりする。

自分にまったく関係ない不倫があれだけバズる(っていうか騒ぎが大きくなる)のも皆個人の情報が面白くて知りたいって思ってるってことなのかもしれない。

普通はこうだよねっていう着地をやめる

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私は割と仕事をする中で「〇〇の場合、△△っていうやり方が一般的だよね」ていうことをやりがちでした。

つくづく悪癖だなって思うんだけど、「身近な人の言うとおりにする」ことでくだらない承認欲求を満たしていた部分がありまして、頼まれたことを頼まれた通りにしかやってなかった時期が長かったのです。

ここ数年でやっと「頼まれたことの先の目的を達成しないと本当の意味で自分の価値は認められない」っていうことに気づいたらかなり仕事が面白くなりました。成果もあがってくるようになっと思う。

だから自分の思うとおりでいいし、責任は発生するけど、それくらいの覚悟を持てないのであればそもそもやるべきじゃないし。

既にまとまってないので猫の画像で和ませるのも限界な誰得記事ですみません(笑)自分の仕事の中での気づきとして書き残しておきたいと思います。

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